2005年(平成17年)10月3日発行
この夏の終わりに「世界で一冊!オリジナル絵本をつくりましょう(空堀まちなみ井戸端会主催)」というワークショップが開催されました。
小学生の方たちも、お母さんや、友だち同士で参加し、そこにお年よりも加わって、和気あいあいの雰囲気の中、地元にお住いの山中勝講師の指導で、絵本作りがはじまりました。
「パァーッと色をぬってたらお母さんに『おおざっぱやなぁ』っていわれたけど、先生やほかの人が『いい感じ、おもしろい!』って。うれしかった」とは、参加したある小学生の感想です。
お地蔵さんや石垣、ネコ、地蔵盆の提灯など、空堀の町の風景を、うまく取り入れたオリジナル絵本がたくさん出来ました。参加した小学生の皆さんは、夏休みの自由研究として、この絵本を学校に持って行ったそうです。今、世間では「荒れているこどもたち」のことが、よく話題になっています。でも町の人たちみんなに見守られている空堀の町の子どもは、今も昔と同じく明るくて元気です。
(からほり新聞 第8号 「明るくて元気!空堀界隈の子どもたち」児童文学作家 藤田富美恵)
上町台地は、芸事に寛容だった船場や島之内と違って中小の商工業者や労働者の住む、いわば下町だった。実用に繋がらない労働は公認されなかった。私が大学へ入って同人雑誌に小説を書き始めたとき、京都や神戸でどんなに激しい文学論をしていても、上町へ着いたとたん、文学など縁もゆかりもないという振りをしたのは、直木三十五のありように学んだからだ。
私の母は、うすうすは感じていただろうが、私が小説を書いていることは知らずに死んだ。直木三十五が日本の当時のいわゆる純文学に反逆し、大衆文学の境地を切り拓いたのも、彼が大阪の人間だったというだけでなく、貧乏を知り尽くした大阪の上町の人間だったからだろうと思う。
(からほり新聞 第8号 「直木三十五のこと」大阪の文学を読む会 福田紀一)
甘酸っぱくて噛みしめるほど、うま味が口の中に広がる懐かしいおやつ酢こんぶ。赤いパッケージでお馴染みの、あの”都すこんぶ”の製造元は、実は瓦屋町にある。
~中略~
松屋町の駄菓子問屋を相手に、酢こんぶの卸をするようになり、瓦屋町にやってきた。お馴染みの赤いパッケージの”都すこんぶ”が登場したのは、箕浦さんの父の代からだ。戦後流行った「ハリスガム」をヒントに開発した。ポケットに携帯できる利便性と、ハイカラなパッケージが受けて、大ヒット商品となった。
~中略~
箕浦さんが、この家業を継いだのは昭和42年。外語大学卒業後、通訳の仕事を始めていたが、「お前が継がんと家業が絶える」との父親の説得で、この道に入った。以来、40年近く暖簾を守り続けてきたが、「実はもう、都すこんぶはやめるんです。次の注文が最後。」
~中略~
そう、時代の流れとともに、町は移り変わる。古いモノが消えると新しいモノが生まれる。そうして、代謝を続けていく・・・。
(からほり新聞 第8号 「懐かしい駄菓子、酢こんぶの老舗」高田次郎)
からほり新聞 第8号
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